富士山北口御師 菊谷坊の歴史

菊谷坊の歴史を説明するために、まず「御師」という人たちの話をさせてください。

それは遠い昔、飛鳥時代くらいまでさかのぼるお話です。


日本には古くから「山には不思議な力がある」とする考え方があり、山で修行をする人々がいました。また富士山は日本一高い山であるため、そういった人々の修行と信仰の場になっていました。

16世紀ごろ、富士山で修行する人々のために、宿と祈祷所を提供する人々が現れ、その人々は「御師」と呼ばれました。


菊谷坊はそんな御師の1つです。400年以上昔からこの土地に根付き、富士山を登る人々と富士山を信仰する人々を迎えてきました。


この富士山に登る人々は富士講と呼ばれる団体をつくり、江戸時代には「江戸は広くて八百八町、講は多くて八百八講。江戸に旗本八万騎、江戸に講中八万人」とうたわれるまでに広まりました。それらを迎えていた御師の家々や吉田の街も、夏にはとても賑わったとされています。


しかし時代の流れとともに、信仰の対象としての富士登山は少しずつ過去のものとなりました。最盛期は90軒以上あったとされる御師の家も、今は数える程しか残っていません。

この菊谷坊の家を訪れることで、富士山登山の歴史や、信仰の山としての富士山の歴史を感じていただければ嬉しく思います。

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